【出雲大社】国譲りから始まる創建の物語と巨大本殿の謎

出雲大社といえば、縁結びの神様として知られる、日本を代表する神社のひとつです。
ところが、「出雲大社はいつ建てられたの?」と聞かれると、実は簡単には答えられません。現在の本殿が建てられたのは江戸時代の1744年ですが、出雲大社そのものの起源は、はるか神話の時代までさかのぼるとされています。
その起源を伝えているのが、712年に完成した『古事記』と、720年に完成した『日本書紀』です。そこに描かれているのが、日本神話の大きな転換点ともいえる「国譲り」でした。
では、なぜ大国主大神は国を譲り、その後に壮大な神殿が建てられたのでしょうか。さらに、出雲大社には「昔の本殿は高さ96mだった」という驚くような伝承まで残っています。
今回は、「出雲大社はいつ建てられたのか?」という疑問から、神話と発掘調査が交差する出雲大社の歴史をたどってみます。
出雲大社はいつ建てられた?実は「創建年」は分かっていない
まず結論からいえば、出雲大社には「○年に創建された」と断定できる歴史上の年はありません。出雲大社の創建は、一般的な寺社のように明確な年代から始まるのではなく、『古事記』『日本書紀』に記された神話の中に、その起源が語られているからです。
つまり、出雲大社の始まりを考えるときには、歴史上の年代と神話上の時間を分けて考える必要があります。「神代に創建された」というのは、歴史的な創建年が確認されているという意味ではなく、神話の中で創建の起源が語られているということです。
一方、現在の本殿までが神代からそのまま残っているわけではありません。出雲大社では長い歴史の中で何度も造営が行われ、現在の御本殿は1744年、江戸時代の延享元年に造営されたものです。
現在の本殿は高さ約24mあり、現存する神社建築としても非常に大きな規模を誇っています。ところが、古い時代にはさらに巨大な本殿が存在したという伝承が残されており、ここから出雲大社の歴史は一気に不思議なものになっていきます。

出雲大社の始まりは「国譲り」だった
出雲大社の創建を語るうえで欠かせないのが、日本神話の「国譲り」です。これは、大国主大神が治めていた地上の世界を、天照大御神を中心とする天つ神の側へ譲るという物語です。
現代の言葉に置き換えるなら、これまで地上世界を治めていた存在から、新たな支配者へと主導権が移っていく物語とも見ることができます。ただし、これはあくまで神話上の物語であり、実際の古代日本で行われた政権交代を記録した歴史資料ではありません。
大国主大神がつくった「地上の国」
神話の中で大国主大神は、地上の世界を開拓し、国づくりを進めた神として描かれています。さまざまな神々との物語を重ねながら、人々が暮らす世界を整えていった存在として知られています。
そこへ、高天原を治める天照大御神から使者が遣わされます。その目的は、大国主大神がつくりあげた国土を、天つ神の側へ譲るよう求めることでした。
ここから始まるのが「国譲り」です。出雲大社の起源を考えるうえで、この物語が非常に重要な意味を持っています。
稲佐の浜で始まった神話の交渉
国譲りの物語では、建御雷神らが出雲へ遣わされ、大国主大神と向き合ったと伝えられています。その舞台として知られているのが、現在の出雲市にある稲佐の浜です。
海を背景にした浜辺で国の行く末をめぐる話し合いが行われたという物語は、現代の感覚でいえば壮大な交渉劇にも見えます。もちろん、これを歴史上の外交交渉として確認することはできませんが、現在の土地と神話が具体的につながっているところに、出雲の面白さがあります。
稲佐の浜は、単なる観光地として見るのではなく、出雲大社の物語が始まる場所のひとつとして見ると、また違った景色に感じられるかもしれません。
国を譲る代わりに求めたもの
大国主大神は最終的に国を譲ることを受け入れます。その代わりに、自分がこの世を離れた後も、目に見えない世界や神事を司る存在として祀られるための、壮大な宮殿を求めたとされています。
そして、その願いを受けて造られたとされるのが、出雲大社の起源につながる神殿です。つまり神話の中では、出雲大社は国譲りによって役割を終えた大国主大神を祀るための、特別な神殿として始まったと考えることができます。
現代風に「日本最古の政権交代の証」と表現したくなるほど印象的な物語ですが、これはあくまで神話を現代的に表現した言葉です。歴史的な政権交代そのものと断定するのではなく、神話としての国譲りの物語を楽しむのが適切でしょう。

「高さ96m」の巨大本殿は本当にあったのか?
出雲大社の歴史を調べていると、もうひとつ驚く話に出会います。それが、かつての本殿が現在よりはるかに高かったという伝承です。
出雲大社に伝わる話では、古くは32丈、つまり約96mもの高さがあったとされ、さらに平安時代には約48mだったとも伝えられています。96mといえば、現在の建物ならおよそ30階に近い高さです。
ただし、ここには重要な注意点があります。高さ96mの本殿が実際に建っていたことが、発掘調査によって確認されたわけではありません。
一方で、平安時代の書物『口遊』には「雲太・和二・京三」という表現があり、出雲大社の本殿が当時の代表的な巨大建築のひとつだったことをうかがわせる資料として知られています。
そして、この「巨大だった」という伝承を大きく注目させることになったのが、2000年の発掘調査でした。
地中から現れた巨大な「宇豆柱」
2000年、出雲大社の境内から、巨大な柱の遺構が発見されました。そこから見つかった柱は直径約3mにもなり、3本の杉材を束ねて一本の柱としていたことが分かっています。
さらに、その柱の位置や構造は、出雲国造家に伝わる「金輪御造営差図」と呼ばれる古図ともよく一致していました。これによって、かつて出雲大社に非常に大規模な本殿が存在した可能性が、考古学的な資料からも注目されるようになったのです。
まさに、昔から語られてきた「巨大な出雲大社」を思わせるものが、地中から姿を現した瞬間でした。ただし、発掘で確認されたのは巨大な柱と大規模な建物を示す重要な証拠であり、「高さ96mだった」という数字そのものが証明されたわけではありません。
伝承をそのまま史実にしてしまわず、発掘によって何が分かり、何がまだ分からないのかを分けて考えると、出雲大社の歴史はさらに興味深く見えてきます。

出雲には、なぜ神話がこれほど残っているのか
出雲大社の歴史を見ていると、神殿だけではなく、周囲の土地そのものに神話が重なっていることに気づきます。その代表が、旧暦10月に全国の神々が出雲へ集まるとされる「神在月」です。
全国では一般に「神無月」と呼ばれる旧暦10月ですが、出雲では神々が集まる月として「神在月」と呼ばれてきました。神々が集まり、人々の縁などについて神議りをすると伝えられているため、現在でも神迎神事や神在祭などの伝統が続いています。
もちろん、神々が実際に集まるというのは信仰や伝承の世界の話です。しかし、その物語が現在の祭りとして受け継がれているところに、神話が過去の昔話ではなく、今も土地の文化として生きているという出雲らしさがあります。
さらに、『出雲国風土記』には「国引き神話」も残されています。ここでは、八束水臣津野命が「出雲の国は小さい」と考え、遠くの土地を縄で引き寄せてつなぎ合わせたと語られています。
これは大国主大神の国づくりとは別の神話ですが、出雲の地形そのものを神話で説明する壮大な物語です。神殿だけでなく、海や山、土地の形まで神話と結びついていることが、出雲という場所の大きな特徴なのかもしれません。

稲佐の浜から出雲大社へ――神話の舞台を歩いてみる
出雲大社を訪れるなら、本殿だけを見るのでは少しもったいないかもしれません。国譲りの舞台として語られる稲佐の浜にも目を向けると、出雲大社の物語が境内の外へと広がっていきます。
神話では、この浜に天照大御神の使者である建御雷神らが現れ、大国主大神との国譲りの話し合いが始まったと伝えられています。海を前にしてその物語を知ると、出雲大社の神話が単なる文章ではなく、具体的な土地と結びついていることを実感できます。
つまり、出雲大社の物語は境内の中だけで完結していません。稲佐の浜から出雲大社へ視線を移していくことで、「国を譲った大国主大神が、その後どこに鎮まったのか」という物語が一本につながって見えてきます。
そして現在の本殿は江戸時代に建てられたものですが、その背後には古代・中世から続く造営と再建の歴史があります。現在の社殿だけを見ると一つの建物に見えますが、実際には何度も造り直されながら受け継がれてきた「時間の積み重なり」でもあるのです。

出雲大社は「いつ建てられたのか?」その答えは神話から始まる
改めて、「出雲大社はいつ建てられたのか?」という最初の疑問に戻ってみましょう。歴史上の創建年として、○年と断定できる数字はありません。
『古事記』や『日本書紀』では、国譲りの物語の中で、大国主大神のために壮大な神殿が造られたことが、出雲大社の創建の起源として語られています。一方、考古学的には、2000年に発見された巨大柱などから、古くから大規模な社殿が存在したことを考える重要な手がかりが得られています。
そして現在の本殿は1744年に造営されたものです。つまり出雲大社には、「神話としての始まり」「古代から続く造営の歴史」「江戸時代に造られた現在の本殿」という、いくつもの時間が重なっているのです。
だからこそ、「いつ建てられたの?」という一つの質問だけでは、出雲大社の歴史を語り切ることができません。
神話の中で国を譲った大国主大神。その神を祀るために造られたとされる壮大な神殿。地中から見つかった巨大な柱。そして、現在まで繰り返されてきた造営と遷宮。
出雲大社を訪れたとき、そこに見えるのは一つの神社だけではありません。はるか昔の神話から、何度も姿を変えながら現代まで残ってきた、長い物語そのものなのかもしれません。
稲佐の浜から出雲大社へ向かうとき、目の前にある景色が少し違って見える。それが、出雲大社の物語を知ってから訪れる面白さなのではないでしょうか。



